田中
『後編』はコロナ禍での収録でしたが、オジマンディアス役の子安(武人)さんとは掛け合いで収録できたのが嬉しかったです。隣で演じている子安さんの存在感と立ち姿がまさに「ファラオ」そのものだったので、私もお仕えしているニトクリスの気持ちになりきって演じることができました。ニトクリスもエジプト史におけるファラオのひとりではあるんですが、自分よりもはるかに偉大なファラオであるオジマンディアスに対する時は、どうしても副官的な立ち位置になりがちです。でも、崩壊していく「複合大神殿」を宝具で護り支えるシーンでは、「この命に代えてもオジマンディアス様と民を護る!」というファラオとしての矜持が垣間見えました。
鶴岡
オジマンディアスに対する時と、藤丸たちに対する時とで、全然違う顔をのぞかせるところもいいよね。
田中
そうですね。藤丸たちにオジマンディアスからの「届け物」を渡す時も、「ドヤ!」って感じに笑って去っていくところはすごくかわいらしかったです。そして、少しでも藤丸たちの力になるためにやってきたところにも、ニトクリスの優しさが感じられました。
鶴岡
『前編』のニトクリスは、偉大なファラオとして振る舞おうとするあまり、少し背伸びしているように感じたんです。その一方でマシュとの湯浴みのシーンでは、ファラオという立場を越えたひとりの女性として、悩むマシュを優しく気遣う姿も見せた。さらに『後編』では、オジマンディアスの有能な副官として立ち回る姿も見せて。2作品を通して、僕の中でどんどんニトクリスの人物像が立体感を増していきました。そして、ニトクリスはいったいどんな気持ちでオジマンディアスに仕えていたのか、田中さんに聞いてみたいと思ったんです。自分もファラオなのに、あそこまで献身的に接する思いとはどんなものなのかって。
田中
ニトクリスもファラオではありますが、周囲に祭り上げられて即位して、「自分は未熟なファラオだ」という思いを抱えていました。しかし、自分が生きた時代よりもずっと後の時代に、オジマンディアスという偉大なファラオが現れたことを知って、自分はあまり国に貢献できなかったけれど、彼は歴史に残る偉業を成し遂げ、ファラオとして国と民に大きな繫栄をもたらした。そのことに対する尊敬と感謝の念を抱いていますし、そういった思いとともに、これは私の個人的な思いなんですが、自分よりも後の世代でファラオの血脈を受け継ぐ者に対する「母の慈愛」のような気持ちもあったんじゃないかなと。
鶴岡
「母の慈愛」! だからこそ最後の最後まで献身的に仕える姿勢を崩さなかったと。いや、ものすごく納得しました。